人は考える網である。
人は考える葦であるは、フランスの人文哲学者パスカルのいった言葉です。人間は万物の前の小さな葦に過ぎないがただし思考することができるそこからいろいろな発展ができるという意味でしょうか。
現代人をたとえてみれば 人はネットからできている網の連続体といえるかもしれません。
それはまるでパソコンがデジタルでサーバーと繋がりほかのデバイスと繋がっているのと相似形のように見えます。
では 意味や価値や感情はどこから来るのでしょうかそれは現象学や神経心理学からすると脳から来ると考えられています。身体に基盤を持つということかな。
コンピューターにはそういう中枢はないと思われていましたがこのところAIがでてきて人間領域に入り込んできたといえなくもないですね。
さて私たちは私たちの欲望、意志、意味は自分に固有のものと信じています。自己同一性というやつですね。
まあ最近世界はファシズム傾向が潜在的に勢力を伸ばしてきているのでそうした国では自己同一性も怪しく生命さえも自分のものではないようです。つい80年まえの日本もそうらしかった。
ただ現代民主主義や資本主義の世界において どうでしょうか欲望や意味や意志はどうやらじぶんだけで形成されているものではなさそうです。
フランス現代哲学でもおおきなAとかちいさなaとかでてきますし。
かの有名なフロイドは潜在意識というものを発見したと述べています。
欲望も実は他人の欲望 父の欲望かもしれません。私たち網人間は無数の網目で世界や他人につながっており
その中の自我形成は自分が思っているほど自分が関与できてはいないかもしれません。
特に子供のころの母親の影響は無限に大きいですよね。