夢の構造1
夢の構造はフロイドの本にも書いてある通り意外に簡単な構造を持っていると思われる。皆さんも自分の夢をもし覚えていたり(おきがけや微睡のなかで覚えているだけだが、日中になりほかの感情行動が始まればきれいさっぱり忘れてしまう)それは夢が感情そのものか感情にうっすら張り付いたような構造を持っているからと思われる。
わたしはおきがけに書き留めておくことがまれにある
今回見た夢は 海辺の近くの豊かな葦原にわたしはいるようだ、若草色と枯れたような葦がどこまでもうねっているその草原にはところどころ小さな小川も見え隠れしている 農業をしたら豊かな収穫がありそうな沃土である。ここはどこだろう、おそらく三重、伊勢のあたりかなと考えていた。民家はみえない現代なのか古代なのかもわからない
しかしそこで場面は飛ぶ、その地域で市長をしている医学部同期のなかむらがそばにいる、にこやかで自信にみちてゆったりとしている、そのとなりにはやはり田舎からいっしょの医学部同期のふるしまがいる
三人は仲が良かった 大学に入り一緒に大阪で落ちあいフェリーにのり鹿児島 屋久島 種子島と旅行をした 何十年もまえのはなしだ。二人ともりっぱな社会人となっている。
大きな会場に3人でいるとなぜかわたしの母も一緒だ いまは年老いている母だが私とおなじでまだ壮年である。
なぜかそこで三重の草原のオークションが株式入札の形で始まっている。私はその土地が有望であると思い少し前に安く仕入れたはずだ、しかししっぱいしたら母に怒られ、失望されると恐れを持っている。
そんなところで微睡の中に意識がもどってきた。
さて 夢の構造である 願望 圧縮 抑圧 不安 投影 愛情 ジェラシー 憧れなどがこの夢の中に詰まっているのがおわかりになったろうか、私は当事者なのでなるほどなとしかおもわない。
次回ではその機制を解説できるだろうか、恥ずかしくてできないかもしれない
皆さんも夢を書き留めて解釈してみたらなるほどと思うはずですよ