新年 わたしはどこにいきたいのか 京都
あけましておめでとうございます。今年は長いやすみなので年明けに京都に行ってこようかと思っています。妻が京都の出身なので比較的何回か訪れ 神社仏閣もそれなりに案内されています。もう齢も取りどこかに行くのも二度以上となりどこに行こうかと暗い寝室で眠りにつきながら考えていました。
あまり大きくない地味な庵のような寺にでもいきたい気分ですがそうしたところがあるのでしょうか 京都には無数に小さな寺はありそうですね。小さいころ私は山の中にある小京都という町で育ちました。山のほうには大宮神社
別の丘には愛宕神社が配置され戦国以降に作られた町の骨格が残っている町でした。愛宕神社の境内の近くには日本ロマン派の巨匠詩人が早稲田の教授をやめたあとまだ存命で住んでおられました。もちろんちいさな子供にはその価値は知りません。後年一番好きな詩人はと言われたらそのかただったかもしれない偶然に驚きました。同時期に青の詩人の魂のそばに住んでいたことに感慨を持ちました。日夏耿之介というかたです。それは澁澤龍彦の尊敬する人でもありこの町へ詩人に会いに訪れたこともあるようです。その町の台地から下を流れる大きな河をみて ここは日本のアルカディアといっていたそうで。私も思い出すと心のアルカディアはここかなと思います。自然と愛情に囲まれよい時を過ごしました。
その町の南側の崖と台地には城跡があり深い森となっていました。その途中にはいまはもう移転してなくなったその県で唯一突然 センバツ高校野球に出場し優勝した高校もありました。いまは原広司という地元の高校をでた天才建築家が建てた図書館になっています。京都駅を建てた方です。そんな天才がこの町から出たのかと調べたら横浜からの疎開の生徒らしいですね。
私の家からその城跡に歩いていくと途中に方丈としか言いようのないちいさな寺というか庵 ごくわずかな墓が庵を囲んでいました。庵主は尼僧であるとのことを祖母から聞いた記憶があります。
10年も20年も前でしょうか帰郷した折にそこを通りましたら火災にあったようで日当たりのよい草むらになっていました。
小さな庵をおもうと昔の失われた記憶がよみがえります。あれもなくなってしまったんだな 庵主の墓はどこにあるのだろうか 京都に行ったらそんな小さな寺に行ってみたいものです。
小さい寺といえば 大津に義仲寺というちいさな源義仲を祀った小さな寺があります。
義仲はなぜか人気があり芭蕉の墓もそこにあり 明治以降の右翼の大物の墓も小さく建っています。少しイメージは違うけれど私の好きな寺です。
今回はどこに行きたいだろう あまり混んでいなけらば南禅寺から銀閣寺への哲学の道をゆっくり散歩してカフェで1回カフェオレでも飲みたいですね。あなたはどこに再訪したいとおもいますか?ゆっくり想像してみるのも自分の心を知ることの手掛かりになると思いますよ。