金閣寺を焼かねばならぬ 3

内海健教授によるこの若々しい書物は3部からなる 1部は林養賢という実際に金閣寺を焼いた人物の精神病理学としての分析説明 これは当代随一の精神病理学者が微に入り細に入り説明してくれる。精神科医にとってはヨーロッパ系の古典的精神病理学者の説をこれでもかと散りばめ教授してくれる、いつものことながら一人の人物の長い病歴を実際の授業で教えてくれることは不可能だ。これ以上のよい機会はない。とても勉強になる。精神病理学の理論は巨人たちが自分の理論や新しい言語を使って説明してくれるので理論がないともいえるし、一つの病態をいろいろな角度や表現で表すのでそれなりに豊かな方法ともいえる。結論としては偏差ゼロのところに収れんする運命であり。この論文に特別な感慨は抱かない いつものように
2部は三島が作り上げた金閣寺炎上の主人公 溝口が登場する そして最後に三島が登場する3部でありクライマックスとなる。溝口を作り上げた三島と溝口の格闘である。しかし教授は正当な病跡学からは大きくは逸脱しない。しかしどこかで逸脱しそうな危うさはあるしそこが面白いともいえる そこにはこの作者への偏愛があるだろう。
三島由紀夫の難解な観念小説(私はこれがとても苦手で、フランスの観念小説の出来とははるかに及ばないと思うのだが)奇妙な哲学とも観念ともいえない単語の羅列が多用されある現象を説明する。教授の第3部には見事に三島の観念的羅列と相似形をなす文章が延々と出現する。その単語は 要請であったり あらかじめ失われたという状態であったり 超越者であったり不可能であったりする。まことに見事に対応していると感じる。教授が好きな作品は 鏡子の家 であったり 金閣寺 であったりするのもむべなるかなである。