都市化のなかの神域
練馬区の奥の方に往診に行くことがあった 関町という とても昔に慈雲堂内科病院というところ勤めたあったので懐かしかった 車で行くには高速もなくとても不便なところあった。行きのとき 井草八幡宮という広大な宮が見えたので 帰りに寄ってみた.1000年も前 源頼朝が寄ったころの武蔵野はほとんどが草原で人もまばらだったろう
現在は神社の周りは家だらけである。この神域は1000年その静謐さと祈りの場を守り手依拠し続けてきた。
この自然を神とする神社の価値が今ほど高まっているときはないかもしれない 政治的なものとは別に
私たちが失った代わりに得たものは 混雑と 失くしたものは信仰と精神性ではないだろうか
いま人口減少下で田園は荒れ 都会に人が集まり狭いところで暮らしている
逆に言えば均整の取れた田園をえられるとき イギリスのコッツウォルズのように
だが実際は熊の生息域が広がり 田舎では畑の放棄が続き 人口の極端な現象がそれゆえ加速していくだろう
神社は静かにみている 不動のままで 人の日本の悲劇を 次の1000年日本人はまともな姿を
井草神宮に捧げることができるのだろうか
田園まさに蕪れなんとす 街衢まさに駢闐せんとす




